場所 | 中ノ森山 |
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エリア | 東北 |
日程 | 2024/03/03 〜 2024/03/03 |
広谷地(取り付き)09:40 ~ 10:50中ノ森山11:10 ~ 11:30
アンテナ11:40 ~ 12:10広谷地(取り付き)
2020年冬から阿武隈北部のまだ登ったことのない山へと虎捕山から登り始め、2021年春には目標としていた14座に登ったが、残っていたのが中ノ森山だった。
浪江の下津島は帰還困難区域で、R114号線から登り口の広谷地を通り、葛尾村への道路はT字路交差点で封鎖されていて入ることはできず、地元の人に話を聞くと、葛尾村側からも入ることはできないとのことだったのでなかば諦めていた。
昨年帰還困難区域が解除されたので、日山に登った帰り道路状況をと見に行ったら、R459二本松市と川俣町境にあった警備詰所は撤去され、R114号線から葛尾村への道路封鎖も解除されていた。
ようやく登られると3月3日、以前から登るときは一緒にと話していた仲間と向かった。R459を東進し川俣町の羽附、浪江町の下津島と走ってゆくと幹線道路は通られるようになっていたが、私有地へ入る道や山側への林道入口などはいまだにバリケードで封鎖されていた。いつになったら完全解除されるのか、原発事故から既に13年もたつというのに暗澹たる思いがする。
114号線から葛尾村への道を南進し、下見しておいた広谷地へ進むと中ノ森山が見える。見当をつけておいた場所に車を止め、支度をして歩き始めた。
調べた資料によれば牧草地をということだったが、牧草地というより荒地となっていた。地図を見ながら南の尾根へと向かったがソーラーパネルが施設されているところで道は途切れていた。一本南の道へ入ってしまったようだ。車に戻り、北側の道を上がると民家があったが人の住む生活感は感じられなかった。やはりいまだ避難したままなのだろう。
車止めの鎖のある手前に車を置いた。この辺一帯は牧草地だったらしいが、いまはもう茅類が生茂り荒れていて昔の面影は感じられない。幅の広い道を歩いて行くと先の林の中に民家が見えた。この道はそこで終わりなのだろう。
民家の手前まで行くと右側に杉林があり、作業道らしき跡があり相方はその中へ入って行った。造林帯なのだろうがもう長い間放置されているのだろう笹が被る荒れた道だった。
しばらく進むと雪が現れ、まもなく薄暗い杉林から雑木林へ出た。春の光が注ぐ雑木林は明るく、薄い笹に覆われた林床は締まった雪が残っていて歩きやすかった。南の尾根に向かい先を行く相方は速く、写真を撮ろうとスマホを出したりしまったりしている間に姿が見えなくなってしまう。声をかけながら後を追う。
わずかに急になった雪の斜面を、相方の踏跡を辿ると土塁のある尾根へ出、積雪量の増した尾根を土塁に沿って登ると岩が現れ、まもなく山頂だった。
中ノ森山の山頂標柱が建つ雑木林の山頂の展望は無く、二等三角点は雪に埋もれていた。
かるく空腹を満たし下りることにした。山頂から北へは土塁があり、ところどころの木の枝にはピンクのテープが付けられていた。まだ新しいところを見るとこちらから登る人はいるようだ。
10㌢から20㌢の締まった雪の上は歩きやすく、相方はどんどん下ってゆく。途中ブナの巨木があり看板が掲げられていたが判読できなかった。
さらに下ると右手の林の中に、花崗岩の大岩が望まれたがこれが中の森大石だろうか。距離が遠くはっきりしなかったが写真に収め相方の後を追った。
まもなく電波中継塔なのかテレビ中継アンテナなのか分からないが、立派な鉄塔の建つ林道に出ると、中の森山登山道入り口の看板があった。やはり中の森山へはこちらから登るらしい
雪の消えた林道を広谷地へ戻ると、鉄塔への林道入口はバリケードで閉鎖されていた。下見に来たときこのバリケードには気がついていたが、まさかこれが林道入口だとは気がつかなかった。
というわけで、道のない雪の藪斜面を登るというこの季節ならではの楽しい登り方で、懸案だった中の森山へ登ることができた。
相方の的確なルートファインデングのおかげで、それほど疲労もせずに山行を終えることができたことにはただ感謝である。 (K,M)